“TAILOR MAKES GENTLEMAN”をモットーに注文主の希望を限りなく生かし、長期の使用に耐えられるハンドメイドの服作りに専念。その技術を買われて当時の華族方に引き立てられ、順調に業績を上げる。
特に徳川家達(16代当主)をはじめとする徳川家の方々より信頼を得、推薦され久邇宮家のご愛顧を受ける。その後多くの華族が顧客となり、昭和10年頃から秩父宮家より受注。
終戦後の昭和25年から、皇太子殿下(今上天皇)を始め常陸宮家等各皇族方からの注文依頼を受け始め、昭和39年には昭和天皇の御用命をいただく。
一方洋服組合の活動にも力を注ぎ、旧洋服会館(市谷)の建設にあたっては組合の副理事長として従事。職業訓練法の施行により設立された港区職業訓練校では顧問を務め、資金を寄付。その寄付金をもとに、卒業生の最優秀生には記念の時計が贈られ、「服部賞」と名付けられた。
昭和43年1月6日早朝、80歳にて死去。前夜まで仕事に取り組んでいた、正に仕事人間であった。
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